表現と意思と生

特別なことをしようとは決して思わない。
特別なことなど私には用がない。

表現はうんこなので
うんこする生き物は皆何かしら表現していると思う。

それに気づくか気づかないかだけの話・・・。

娘が先ほど私に、
「ねぇ、ママはいつも全てのものには命があるというけど、
冷蔵庫にも鼻水をかんだティッシュにも命があるの?」と聞いてきた。
それには・・・・ないかな、あるかも・・・娘は混乱していながらも何となく
ふうん~と少しだけ理解している様子だった。
というのも、私が思う命というのは必ずしも生きている生き物だけに限らない。
人に自分の気持ちをわかりやすく伝えられないのは残念だが
人に自分のこの気持ちを理解してもらいたくて何かをやているわけでもない。
小さい時から毎日のように母から父から目には見えない
命のことを聞かされていたので
いつの間にかこんな私になっていた。

最近スマホで写真を撮りながらあらためて気付いたことがある。
当たり前の「命の事」を。

どうしてなのか私にもよくわからないが
どうしてなのかすべてのものに吐息を感じる。

だからと言って何かが見えたり何かを感じているわけではない。

はっきり言うが私は詩人でも写真家でも何でもない。
当たり前のようにうんこをしているだけなのだ。

私はうんこだ!

うんこがうんこの表現をしているだけなのだ。
あなたのうんこも表現しているし
また、あなたのうんこも何らかの表現をしている。
表現は作品じゃない。
下水道に流すもの・・・・・。

ただ、
一つの違いがあるとしたら
うんこの臭さ・・・自分の臭さを出すか抑えるかの問題。
自分のうんこの臭いは誰よりも自分がよく知っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿