国際市場

数日前、友達からある連絡が届いた。
韓国映画 「国際市場で逢いましょう」を観て、私の事を思ってたらしい。

素直に嬉しかった。

国際市場は釜山にいる頃、よく行ってた所だ。
なので、映画のタイトルを目にしたときびっくりした。
上野のアメ横に似ているが、あの当時は、女の子が一人で行くには
危ない場所だった。
戦後、米軍の放出品を道端で売る闇市がはじまりだと
言う話を聞いたことがある。

私が国際市場へ、よく行ってたのには理由がある。
海が近いのと、少し怖いけど、わくわくする市場の
雰囲気が好きだったのだ。
賑わうと言うより、むしろ暗くて、革の製品とか
何に使うのか分からない、外国語の書かれた物が沢山並べられていた。
関税庁や貨物船の停泊する場所が近くにあったので、
地元の人より、背の高い船乗りの外国人のほうが多かった。

当時私は高校3年生で、結婚して美容室を営むお姉さんの家に住んでいた。
お姉さんの旦那さんは船乗りの人で、海外に出ると
2~3年に一度しか帰ってこない。
帰ってきたある日、私は凄く怒られた。
勉強もせずしょっちゅう歩き回っては、危ない国際市場へ行ってた事などを
お姉さんが告げ口をしたのである。
ヤクザも多いので、国際市場だけは絶対一人で行かない事を約束された。

勿論、その後もよく行った。

 生まれ育った故郷は、山に囲まれている小さな町。
山だらけなので川も多い。
とても素朴な町だが、どこか悲しい町でもある。
釜山は悲しい街ではあるが、たくましい街でもある。

連絡をくれた友達は、映画を観終えて釜山の街が好きになったのかな?
「国際市場、いつか一緒に行けたらいいね!」

ちなみに、友達が映画を観に行った動機は、
東方神起のユノ(ユンオ)だったらしい。可愛い。(笑)
親切に、上映している映画館も教えてくれた。
ありがとう!

昨日の夢

2年間、地下の世界から出られないという夢を見た。
湿り気のある、狭くて薄汚い地下街、

外に出ようと出口を捜し歩きまわる。
やっと階段を見つけ昇ってみると、シャッターが下ろされていて、
いくら開けようとしてもびくともしない。
後ろから人の足音が聞こえてきたので、慌てて階段を下り、
足音の方向を見回すが誰もいない。

絶対、外の世界へ出るぞ と、あちこち歩き回っていたら、
中年女性が私の方へ近づいて来て言う。
「2年間は、ここから出られませんよ」
・・・・・・・
私は動けなくなった・・・。

目覚まし時計の音がなる。
夢うつつの間、戻れて(出られて)安心する私であった。

私は、ほぼ毎日夢を見る。
覚える時も、忘れる時もあるが、大体、夢の中でも
いつも何処かを歩いている。
非現実的でありながらも、何処か懐かしく、自分の気持ちを
隠す事無く、ありのまま表している。

つかみあいの喧嘩をしたり、やきもちをやいたり、
暴力を振るう夢の時もあるので、
そんな夢から目が覚めた後は、かなり落ち込む。
気付いているような、無いような、自分の内面の嫌な所、
そんな感情が現れたような気がするのだ。

夫と娘に「昨日はどんな夢を見たの?」と聞くと「覚えていない」
の返事が多い。
この間の朝、夫の部屋から、がたりと何かが倒れる音がした。
棚にあるCDがめちゃくちゃ!
夫いわく、サッカーをやってて、いいパスが来たので、
思いっきり蹴ったらしい。

自慢げに、怪我している足の指を見せる。
普段、サッカーなんか全然やってもいないのに
馬鹿だね・・・男は・・・。

フライパンに捧げる歌

そろそろ、
お別れの時間がやって参りました。

これ以上、苦しまないで下さい。

もう、頑張らなくてもいいですよ!

何千回も火に炙られ、過酷な労働の末、
終わりを告げるフライパン。

ついに、我が家のフライパンは、
十五年の短い生を終えました。

丸い裸に、こびりついた傷の跡、
痛々しいです。
もっと、大切に手入れをしてあげれば
よかったのに・・・。
悔いが残ります。

あの頃の、貧しかった恋人達は
毎日の様に、
塩と、胡椒入りのチャーハンを
食べていました。
そして、お仕事を頑張りました。
僅かな収入を手に入れた日、
お祝いの野菜入りのお肉炒め料理・・・・・。
あなたのお陰で、美味しく頂きました。

うれしい事があった時も、辛い事があった時も、
元気が出るようにと、お腹を満たしてくれては、
こっそりと、台所の片隅で、
恋人達を見守り続けてくれたフライパン。

最後の日は、
あなたの為に、想い出のチャーハンを作りましたが、
見事に、お米達がくっついて底から離れませんでした。
その後、いつもより時間をかけ、
ボロボロのあなたを、やさしく洗い拭きあげました。

本当に、お疲れ様でした。

お別れの朝です。

燃えないゴミ袋へ入れられたあなたは、
これからどうなるでしょうか?
生まれ変わるとしたら、
どんな姿になるでしょうか?

お別れは寂しいですが、
私は、忘れません。

あなたから貰った沢山の幸せを・・・。










朝の寄り道

今年の四月、娘が小学校一年生になり
私は、毎朝6時30分に起きるようになった。
最初は、かなりきつかった。
熱いコーヒーを飲んだ後、簡単な朝食を用意し、娘を起こす。
あれこれと忙しい朝を送っているが、今まで感じたことのない、
新しい毎日を経験するようになった。

早朝の空、空気、風はその時にしか出会えない。
当たり前の事だが、毎日違う顔を見せる朝に向かって「おはよう!」
早朝の「おはよう!」には魔法の力があり、今日の一日を
迎えられたこと、これからの一日を送ることへ、
無条件にありがたい気持ちになるのだ。

娘を学校へ送った後、ぶらぶらとあちらこちらを
歩いては、人の家の綺麗な庭先を覗き込んだり、
そんな私を、飼い猫は窓辺の中から見つめたり・・・。

車も通らない自転車も走らない、その上
出くわす人も無い、ゆっくりと歩ける道がある。
水車町だが、非常に静かで暗い。
南七条橋から南大橋までの間にある、細い中道。
豊平に住み始めてから、何度も行ったことがあろけど、
行くたびに何とも言えない不思議な気持ちになるのだ。
家も沢山あるのに、人の気配はほとんど無く、
やたらと鳥が鳴いていて、人の手入れが届いてないままの
草や花が静かに生い茂っている。
昔は水車のある、にぎやかな町だったらしい。

朝、その道に寄ると、胸が少しドキドキして、後ろを気にしながら
歩いている自分がいる。
やっと、豊平四条の36号線へ出ると、思わず安堵の息が漏れる。
そして、うんと変わって、36号線を走る途切れの無い車の騒音と、
ゴミを漁るカラス、出勤する人々の慌ただしい風景を目にし、
一仕事を終えたかのように、家へ帰ってくる。

これから、仕事をするようになると、朝の寄り道など
多分、そんな時間はなくなると思うが、
ふと、気休めの寄り道を見つけ、楽しみたいと思う。

朝の寄り道、持ち主の帰りを待ち続けている、
放置されたままのバイク。
 
 
 一週間後、こんなに植物に覆われている姿を目にして、びっくりした。
 

内視鏡検査

病院へ行ってきた。
今回の検査は、のどの局所麻酔だけだったので
結構苦しかった。
痛みと、吐き気は我慢出来るが、口をずっと開けたままで、
唾と言うか、息を飲み込めないのが辛い。

‘‘ごくり”が自由に出来ない恐怖心・・・。
歯科に行ったときも同じで、凄く息が苦しい。
鼻から息を吸っているのにもかかわらず、窒息しそうになる。

血液検査結果と、胃の検査結果は特に問題もなく、
とりあえず安心した。
後日、ピロリ菌の検査を受けるが、多分罹っているような気がする。

今日の内視鏡検査の時、
手をぎゅっと握って、背中を優しくさすってくれた看護師さん、
ありがとうございました!
お陰様で、少しは気持ちが落ち着き、パニックになりませんでした。








 

家の隣

私の、家の隣は酒屋、
酒屋の隣は桐。

桐の隣は小川、
小川の隣は羊飼い家。

羊飼い家の隣はごみ処理場、
ごみ処理場の隣は空き地。

空き地の隣は巫女の家、
巫女の家の隣は坂道。

坂道の隣は果樹園、
果樹園の隣は火葬場。

火葬場の隣は葬儀屋、
葬儀屋の隣は布団工場。

布団工場の隣は餅屋、
餅屋の隣は美容室。

美容室の隣は孤児院、
孤児院の隣は町役場。

町役場の隣は陸軍部隊所、
陸軍部隊所の隣は山。

山の隣は山、
山の隣は牛市場。

牛市場の隣は川、
川の隣には何もない。

何もない隣は田んぼ畑、
田んぼ畑の隣は小学校。

小学校の隣は製鉄所、
製鉄所の隣は貨物所。

貨物所の隣は駅、
駅の隣は売春宿。

売春宿の隣は銭湯、
銭湯の隣は映画館。

映画館の隣は地下街、
地下街の隣は総合病院。

総合病院の隣は中央市場、
中央市場の隣は結婚式場。

結婚式場の隣は写真館、
写真館の隣は友達の家。


忘れない為、何度も故郷の景色を思い浮かべる。
忘れるはずがないのに・・・。
いつも、何処かを歩いたような気がする。
穴の開いた、私の靴下を縫いながら、母さんは言ってた。
「オンミは、よく歩くね!新しい靴下がすぐ駄目になる。
一人で、遠いとこまで歩き回ると、迷子になるよ!」

何故かな?
本当は私、迷子になってみたかった。
今でも、その気持ちがよく分からないが、
心配してた親の気持ちだけは、よく分かる。


歩く鳥

飛べない鳥がいた。

空を飛び回る鳥達は、

飛べない鳥の噂話をしていた。

あの子は、羽がないのよ!
羽がないのは、鳥じゃないわよ!
あの子はきっと、咎の身なのよ!
よちよちと歩くなんて、
まあ、醜いわね・・・。
可愛そうに・・・・・。

何かの理由で飛べないのか、

誰もそんな事知りたがらない。

ただ、群れから離れ、

違った行動をするのが

気に入らないだけの話。

歩く鳥は、鳥の友達が欲しいけど

飛べる鳥達は見向きもしない。

虫を捕まえる事さえ忘れ、

あちらこちらで内緒話。


青い空を見上げ、歩く鳥は呟いた。

わたしは鳥!飛べないけどね!
歩くのも悪くないわ!
ここでは、わたしの事、珍しい目で
見ているけど、
声を掛ければ、返事くらいしてくれる。
でも、友達にはなれない・・・。

友達になれる方法って何だろう?

・・・・・・。

歩く鳥が欲しいのは、

騒がしい助言や忠告ではなく

心地よく一緒にいられる相手。

歩く鳥は、歩いて歩きつかれ

年老いた巨木の根本に倒れた。

巨木は戸惑いながらも

体から、一番先の丸い枝を選び、

歩く鳥が起き上がるまで

優しく撫で続けた。

全く違う姿の、歩く鳥と年老いた巨木。

言うまでもなく、二人は友達になり、

いつまでも仲良く暮らしたとさ!

堕天使

地平線を覆い包む漆黒の闇。
誰かが鳴らす、マンドリンの響き。

新たな魂を手に入れようと、
旅立った者がいた。
ジプシーの血を受けついた彼は、
凍りつき始める水の王国を後にし、
生の裏側を目指した。

本来の男には、自由を愛するきれいな血が流れ、
天から与えられた使命を果たそうと
旅を続けていた。
人を愛し、歌い、踊る日々の中
男は与える喜びを捨て、
与えられる快楽を覚え、欲望の角を
光らせるようになった。

忍び寄る魔手、
己が生み出す内面の産物。
世の悪魔は、誰でもない自分の背中にこびりつき、
罠を仕掛けては笑い、苦しみの種を撒き散らす。
生身に投影される堕天使!
それは、紛れもない自分自身の姿なのだ。

過去、現在、未来・・・
時間と空間を繋ぐ見えない隙間
そこに潜む天使と悪魔。

かつては、神の使者であり、
天使と悪魔は一つの身だった。
永遠と神の元で、賛歌を唱える天使達。
恐ろしい程、平穏な楽園の静けさ、
退屈すぎる変化のない自由。
天使達は全てを手放し、
あるがままに生きる道を選んだ。
神は怒りに燃え、彼らを突き落とし
苦しみを生み続けるようにした。

わがままな神である。

鉛より重い、欲望の自由。
生きる苦しみ、喜び・・・・・
無数の堕天使達の悲哀の歌・・・
数々の哀れみがぶつかり合い、
時には、愛が生まれ、抱きしめ踊る。

新たな魂を手に入れる旅の道は、
生の裏側ではなく
目の前、先に広がる道のみである。
あるがままの己を受け入れ、
新たな魂を宿らせ絶えず肥やすこと。

堕天使である男は、私の姿であり
私は、悪魔の姿でもある。










胃の痛み

5月の初めから胃の痛みを感じ嫌な予感がした。
ついに、背中まで痛みが激しくなり病院へ行き、薬を貰った。
先生の話では、おそらく頭痛薬の飲みすぎが一番の原因らしく
来週、改めていろいろ検査を受けることになった。

薬で、何とか少しは、痛みを抑える事が出来たが、体を丸めて
横にならないとやはり痛む。

2年前、同じ経験をした。
胃潰瘍になり痛い思いをした。
検査では、ヘリコバクター・ピロリ菌も見つかり
治療の為、何度も病院に通うのがもう、嫌で嫌で、
完治しないままほったらかした。

結局怠けて行かなくなり、罰が当たったのだ。
その時、最後まで病院へ通い、きちんと治せばよかったのに・・・。

朝、目覚めのコーヒーをのむ。
味も香りも薄いので、目が覚めない。
煙草も控えめに・・・。
体の訴える痛みを、ずる賢い頭は無視する。
頭の欲求は実に恐ろしい。今のところ、
体の痛みを深刻に受け止めない自分がいる。
死ぬほど痛かったら、コーヒーも煙草もやめるはず。
自分の精神が宿る体なのに、あまりにも、扱き使いして申し訳ないような気もする。
意識の事ばっかり優先され、体が抵抗しているのかな。
    
     「 健全なる精神は健全なる身体に宿る」・・・。

















 

なまえ

忘れていないのなら、
名前で呼んでください。

見上げるあの青い世界。
空の外には、
名前と言う惑星があり、
時々、選ばれた名前達が地上へ
降りてくる。

名前のない遥か昔の時代、
空の向こうには、
謎めいた生き物達が休まる暇もなく
名前を宿らせるため、
生命の楽園を鋤き起こしていた。

無名の物質が作り出す、
無色、無味、無臭の生まれたての名前達は
海へ潜り、川へ跳びこみ
地を掘り、木にぶら下がり
山を登り、空を飛び回っていた。

喜びの祝宴に耐えられない、
巨大な炎の侵入者は
名前達を破壊し、燃やし続けた。

大爆発を起こし、
銀河のかなたへ・・・・・
燃え盛る火の中から、名前達は歌う。

色をつけましょう!
味をつけましょう!
匂いをつけましょう!
命のあるものへ、命のないものへ
お届けしましょう!!・・・。

137億光年、
あの空の向こうには
名前達の住む銀河があり、
呼ばれる順番を待ちながら
我々の星を見つめている。
だから、あんなにも輝いているのだ。

名前と言うのは、
付けるんじゃなく、あの星からのかけがえのない贈り物。

あなたの名前を呼びたい。
私の名前を呼ばれたい。
子ども達の名前を愛し、
愛する名前達を大切にしたい。
名前のないものはこの世には存在しない。

死んでも、色あせる事無く残るのは
星と、名前だけ・・・。








 

諸行無常

私じゃない私の中、私と違う私。

消滅しては、新しく生まれ
生まれては、消えゆく。

思考を止めさせる安らかな終わり。
我を抑えきれない苦しみの始まり。
自然摂理の変化する意味を問い続ける
無意味な存在。

点々と散らばる我。
必死で くっつけようと、
針を通し、空ろなこころを縫う。

繋ぎ目の、心の余りが見当たらない
徒労に暮れる日々の中、
手の施しようがない糸の塊、塊・・・
穴だらけのもろい意識がとどまり、
流転しない恐怖に襲われる。

何かで埋めさせようと、活字を打ちまくる。
何処かへ置き去りにされそうで、活字の迷路を走る。

足を止めても、止めなくても、
見えない力に引っ張られ、
万事が目茶苦茶にされ、他を非難する私。
戸惑う心理は、
明確な答えを求め哲学書物を漁るが、愚かな行為。
何もかもが移り行く単純な答え・・・・・
忘れては悩み、順応出来ないまま今が過去に変わる。

見えない原理を見ようと、
自分なりの努力をし、
徒し世への、僅かな意味を見出したい。

万物の真心に動かされ、
私と違う私に出会い、
常に変わり続ける自分自身。

消滅する、いつかの生。
私である私を知る。

いずれにしても、もろい塊の
自分にしがみつく馬鹿な真似はやめ、
無意味の意味を心と体で受け入れ生きていくこと。

それが私の諸行無常。















 

ある友達へ・・・

この季節になると、
あなたを思い出します。

覚えていますか!?
精神の病みに迷ってた10代の頃、
映画館の裏にあるカフェーで、私達は
初めての酒を口にしました。

静かな儀式を行うかのように杯を交わしながら、
歪な世界を批判し、大人や学校への不満を打ちまけては、
これからの人生に欠かせない、生への必要な事などを
真剣に二人で見つけて行こうと約束しました。

酒の名前と綺麗な色にそそられて、
3杯めのシンガポール・スリングを飲もうとしたとき、
店主に怪しまれて、学生の身分だと気付かされお騒ぎになりましたね。

見事に放り出された私達は、
千鳥足で何とか「クァンアンリ」まで行き、海辺の砂浜で
うつ伏せになり眠りました。
口の中がざらざらして頭が痛い。
気が付いたら二人の全身は砂だらけ。
耳の中まで砂が入り、大変な思いをしましたね。

人の少ない朝のクァンアンリ。
映画の画面から出てきたかのように、
砂浜の向こうから、コーヒー売りおばさんが私達の方へ来て
ポットの中から、おいしいコーヒーを注いでくれましたよね!

おばさんは、
昨夜から時々、私達が心配で様子を見てたらしく、
  
‘‘あんた達、親が心配するよ!早くお家へ帰りなさい!
 ここら辺は変な男も沢山いるのに、困った娘たちだね・・・”
 バス代はあるのか?と聞きました。

夜は海辺を歩き回り、するめや酒などを売り、
朝からはコーヒーを売るおばさん。
私達はおばさんから、やさしいこころと何となく溢れる悲しみを感じ、
帰りのバスの中で、今度又、おばさんに会いに行こうと言いましたね。

非行を繰り返す問題少女ではなかったが、
危なっかしい不良の少女である私へ
あなたはほぼ毎日手紙をくれました。
破いて捨てた手紙もあれば、最後の日まで持ち続けた手紙もあります。

二十歳になり、大学の生活を送るあなたと、
工場での労働者として生計を立てている私。
続いた文通は、いつの間にか私から送らず、
あなたからの連絡も避けるようになりました。
まさか、工場まで私に会いに来るとは・・・
自分の作業服姿が恥ずかしくて嫌でした。

その後、
長年書いた日記や手帳、身の回りの物を全部捨てて、
誰にも何も言わず日本へ来ました。


お互いに詩を書いては、
何の恥ずかしさも感じず朗読したり、交換したり・・・
あなたの書いた比喩の無い真直ぐな詩、懐かしいです。

あなたは私の事を、いつまでも純粋に見守ってくれたのに、
私はあなたにさよならも言わず海を渡りました。

あなたに、会いたいです。
あなたに、謝りたいです。

又、会える日までどうかお元気で・・・・・・・




※クァンアンリ(広安里)は釜山の海辺の名称。
   砂浜がとてもきれいな海水浴場です。
















デジャヴ

昔、夢で見た景色を
ある日偶然、目にする時がある。

先週、久しぶりに夫の実家である穂別へ行き、
家族皆で平取町温泉へ出かけた。
平取町は初めて行くところで、
夫の、兄の奥さんの故郷。穂別からは車で30分程掛かる。
何処を見ても山は追いかけて来るし、
人影の無い道に咲き乱れる桜は、もったいないほどきれい。

平取に入り、しばらく走ると二風谷ダムの案内表示が目に入った。
確かに、草むらの奥の方に大きな川が流れているのがちらっと見える。
そのあとすぐ、
あっ!! えっ?? うぅ・・・・・
びっくりして思わず変な声を発した。
あのダムは、
20代の頃、夢で見たことのある‘‘ダム”
二風谷湖色と同じく、不思議な緑色の屋根 「二風谷ダム」。

どちらかと言うと、
私には凄く怖い夢だったので、はっきりと覚えていたのである。
縁もゆかりもない、初めての二風谷
ただ、気持ち悪いような、うれしいような・・・
何とも言えない気持ちのまま、二風谷の温泉「ゆから」へ行き、
温泉には入らず、一人でぶらぶらと鳥達の声を聴きながら
谷の公園道を歩いた。

せっかくだから、以前から興味のある
アイヌ文化博物館へ行きたかったが、
遅い時間になり行けなかった。 残念!!

日本に来て間もない初めの年、25歳の時かな?
多摩川の花見の帰り道、私と先輩、先輩の彼氏は
車に乗り小作へ向かった。
しかし道に迷い何度も同じ所をくるくる回る。

私は最初から道が分かっていたが、あえて言わなかった。
怖かったのである。

その辺りの景色が、写真に映し出されたかのように
記憶の中に収まっている。
神社の鳥居、大きな銀杏(イチョウ)、古い家屋、狭い路地・・・・・
説明出来ない不思議な感覚だった。
また同じ路地に車を回す先輩の彼氏、

‘‘行き止りなのに”・・・・・・

結局、私の道案内を、先輩は彼氏に通訳し何とか小作へ戻ってきた。

予知能力でもなく、大してあまり役にも立たないデジャヴ。
しかし、初めて会うのにもかかわらず、昔からの知り合いのような
親近感を感じる人に出会うときはうれしい。
滅多に出会わないが、そのような友達から時々、
デジャヴの瞬間を感じる。
そして、何故か夢の中で友達と、私の故郷で空を見たり、
小道を歩いたり、とても心地のいい時間を過ごす。
そんな夢を何度も繰り返し見る。

科学的な詳しい事は知らないが、
デジャヴには運命的な何かがあるかも・・・何も無いかも。


















 

深い波の谷間へ行かねばならぬ。
静かな動きで身を構え、
流れに逆らわず、一個の自分を
守らなければならぬ。

海という広い輪の世界。

どんな理由で、
そこを目指すのか分からない。

忘れない為、忘れ去られない為
生まれの川へ手紙に綴られた
契りのない別れの言葉。

海に結ばれ溶け込む
柔らかな川の心。
惜しまず送り出される命・・・・・

鮭は、
一人前になり、いつか
戻ってくるのを誓った。

どんな理由で、
こんな旅をするのか分からない。

限りの無い透明な硝子の輪。
仲間にも、敵にも、
涙なんか見せず、
ひたすら泳ぎ続けた。

ある日、潮の流れに案内され、
鮭は、胸を膨らませ長旅に出る。

立派な体を思いっきり動かし、
川を上り始める。
懐かしい温もりを感じながら、
休まず上り続ける。
擦り傷には目も向けず、
ぼろぼろの体を生まれの川へと運ぶ。

鮭!!
君は納得しているの?
君の疑問は成し遂げたの?

長旅の意味など鮭は知らないまま、
口を大きく広げて、
新たな命を吐き出し
死んだ。

私にも、鮭の長旅の意味が分からない。

一つ分かるのは、
死に場所を得る地が
生まれ場所であるのは、
最後の幸せなのかもしれない事。




食卓の上には、
美味しそうに焼かれている鮭がある。
箸で鮭の身を口に運ぶ。
・・・・・おいしい、
でも、悲しい。

生きるため、体を保つため、計り知れない生き物を
頂いている中、ついつい考えてしまうそれぞれの物語。
人間を食べる生き物がそこら中にいるとしたら、
人はどんな気持ちになるだろうか?!
生死に繋がる食べる事への本能的な欲求。
今の多くの人々、自分自身を含め、
異常な程、欲求を求め過ぎているそんな気がした。



















 

赤坂の かおりちゃん

曇り空の午後4時。

大事な商売道具を背負い
ビニール傘を
地面に突つきながら、
かおりちゃんは
三鷹駅から丸の内へ向かっている。

膨らんでいる緑色のリュックの中身は
安い化粧品と水商売用のドレス。
そして、おにぎり。

人の臭い、息の詰まる地下鉄、
小走りに歩いても
足の速い東京の人達に追い越される毎日。
長い階段を登り地上の赤坂へ。

揺らぐネオンの谷間、
深まる夜の片隅、酒に飲まれ
男と女は曖昧な誘惑を交わす。

段々、かおりちゃんに化けていく。

耐えられないほど自分が嫌になる日々
ごっそりと店から抜け出し
雑居ビルの薄暗い階段に座り、
しっかりと自分に言い聞かせた。

後もう少しで、芝居は終わる!
烏の鳴き声が聴ける・・・
始発線に乗りお家へ帰られるからね!
かおりちゃんを演じるのは悪いことじゃない。
生きて行くため、仕方がないのよ!

かおりは、3年間歯を食いしばり頑張った。
・・・・・・・。
あの頃
仕事を終え、赤坂見附から始発に乗り
新宿駅に着くと、プラットホームで待ち伏せしている
箱バン仕事帰りの彼氏が私を見つけ、
いつも一緒に三鷹のお家へ帰った。
と言うのも、精神が弛んでいる時
あの頃のことを考えると身も心も引き締まる。

苦労も苦労だと思わず、辛くてもひたすら頑張れたのは
どうしてだろう?!
確かなのは、もう二度と私は、かおりちゃんにはなれないこと。
何かに化けてまで自分を燃やす情熱がない。
そうか!
情熱か・・・・・・。
何か寂しいな。







フィンランドの匂い

世界で最も政治家の汚職の少ない国として、
世界一、水がきれいとして評価されたことのあるフィンランド。

海に包まれている夜のヘルシンキの街。
映像とは言え、私は感激した。
‘‘あの街” と駆け落ちしたいほど惚れ惚れした。

大好きなアキ・カウリスマキ監督の映画にも、
忘れることの出来ないフィンランドの匂いが伝わる。

私は幼い時から、眺めることが好きな子だった。
学校での退屈な授業を受ける時も
窓越しの山を眺めてばっかりで、毎日のように廊下へ立たされた。

いつも夕暮れになると、
何かを、誰かを、待ちながら
駅を川を、野原を、海を眺めていた。

結局、
何も 誰も 私の前に現れないことを知るまで、
随分時間が掛かり、後悔の涙を流した。

錆び付いた諦めの扉へ掛け金をかける事は、
私にとってかなりつらいことであった。

12~3年前、シアターキノでアキ監督の映画を眺めた。
特別悲しい映画でもない。
むしろ、コメディー映画なのに涙が止まらない。
うまく言えないが、
あの時の扉を、無理やり閉めなくていいんだよ・・・・・と
教えてくれたような気がした。

数日前、アキ監督の兄である、
ミカ・カウリスマキ監督の「旅人は夢を奏でる」を眺めた。
やはり、見るというより眺めちゃう。
同じく、フィンランドの匂いに酔いしれ益々その地へ
行ってみたくなった。

言葉を含め自然界の全ての風景・・・・・
人は眺め、それぞれ自分の心に沁み込む匂いを
感じ取るときがあるはず。
それは体中に伝わり、不思議な大きな力を与えてくれる。
そして、
どんな時でも見方になってくれる。

私はフィンランドの匂いが好きだ。

その匂いは、今までの私の人生そのものであり、
これからの人生の匂いでもある。





 

風の住む丘

風吹く丘を上れば分かる。
紛れも無い存在の悲しみを・・・

山にはなれない丘。

のろまの足を裏切ることなく
威風堂々さもないまま
柔らかな緩い腰へ草木を乗せ、
風の話に耳を傾けている丘。

存在の意味を失い
自暴自棄になりかねない私は、
余るほどの10本の指を広げ、
掴めない丘の風を掴む。

愚鈍な私・・・・・

色のない平凡な自分を嫌い
魂を揺さぶる濃い、何かを求めているが、
風のように全く掴めない。

あらゆる存在からの教えを無視し、
特別扱いされたい幼稚な願望に揺れ動く。

風の住む丘の何処かに、
こんな私を変えさせる
異次元への入り口があるのでは・・・

色のない風の意味を、
心から感じ取るまで、
長い間お世話になった。

風の住む丘・・・

萎れそうになった肺は、
いつしか拒否なく風を受け入れ
悲しみのうろこを優しく落としていた。

色のない色を想像する。
目に見えないものを信じる。
掴めないものを愛す。

無知にならない為、
私は風の住む丘を上る。

今を生きる私を、私へ導いてくれたのは
丘に宿る全ての存在のおかげ。

遅くなったが、
感謝の言葉を丘へ贈る。








 

自由

申し訳ないが、

いつの間にか穏やかな
自由に囲まれていた。

若い頃、
現実を
見て見ないふりをする下手な芝居、
折り合わない世間とのいがみ合い、
先駆者を褒め称える歌、
民主化に揺れ動く
‘‘時代の旗”を憎み続けた。

知識人だけが闘った訳じゃない。
少年少女達も闘っていた。
見放されたスラム街の落書き
自由を渇望する無意味の対抗。

自由は存在していたのか、
存在していなかったのか・・・
自由の使い道は?
どの様に手に入れるの?
金持ちになるの?
幸せになれるの?
好きな人と結婚出来るの?
・・・・・
むき出しに、
抑圧されてはいないが
何が自由なのか分からない。

長い時間が過ぎて、
そんな疑問の答えを
もう一度考える。

祖国から離れた地には、
民主主義の華やかな自由人が
溢れていた。

残念ながら、
未だに理解に苦しむ自由への在り方。

共産主義の独裁者
民主主義のエゴチスト
どちらも似ている。

自己合理の為、
犠牲者を出す自由を
私は、反対する。

世界中の一人一人へ
穏やかな自由が訪れますように。