区役所へ

そうか・・・私は日本人じゃないんだ
あたりまえのことを
忘れてた

私には私の番号があったんだ
慌てて思い出した

灰色の建物を見ると
めまいがおきる。
背広に眼鏡、難しい用語を
早口で言う男を見ると
頭が痛い。

そうか、札幌に来て
いつの間に
こんなに年月が過ぎていたんだ・・・・・

私は日本人妻で、
国籍は韓国。

区役所の若い職員が丁寧に
あれこれと説明をするけど、
よく分からないので、
よく分からないと言った。

寂しいもんだね、
住民票で証明する自分の存在。

シリアの難民は
何で自分を証明し
この先、何で存在への希望を抱くのだろう
私みたいな人間が
平和にくらしている間、
彼らは不慣れな国境の地面の上で泣いている。
それに比べると
私は何て贅沢なんだろう
寂しいもんだね・・・何て言えないよ。

区役所へ行く日は気が重い
しかし、
自分の手で選択できる小さくて大きな自由がある。
二つの国を持つ何んとも言えない幸せがある。
区役所へ行くと、
本来の自分の自分に逢える。
それが、ただの紙一枚、住民票であっても・・・・・。



地下鉄

こもる体臭をどこにも吐き出せず
細い電車は真面目に走っている。

暗い鏡の中を思わせる車窓
そこに映し出される私達の素顔。

上京した田舎者は
落ちつきのない視線の置き場を探しながら
気づかれないように周りを盗み見ている。
愛おしく思えるほどの無表情、無愛想・・・・・人、人。

冷たい蛍光灯
乗客達の弱々しい青白い姿
不思議な詰め合わせの箱の中、
見知らぬ人々一人ひとりが
まるで自分の姿のように見えてきた。

こんなにも身近で
他人同士の肌がこすれているのに
誰もが口を閉ざし、
薄っぺらな物体に夢中だ。

都会の昨日と今日、明日がごちゃついて
地下から地上からとめどなく話しかけている。

寂しいんだ・・・皆
皆、寂しいんだ。

寝ている人、痴漢する人
乗る人、降りる人・・・
あなた、わたし・・・・・。

地下鉄に身を揺らしながら
とうとう下車駅を通り過ぎ、終点駅まで行き着いた。
このまま、
地上に出たくないと、思った・・・・・。

二条市場路地裏

5回往復して、
6回目の往復。

驚かない、見慣れた姿だ
おっさんの
情け深い立ち小便・・・・・。
野良猫はかつお節をくわえ
背を低め走り去る。

ここは二条市場路地裏、
湿っぽいわだかまりを
捨てに来る場所。

生々しいカラオケの歌声
「恋唄綴り」
「津軽海峡冬景色」
「時の流れに身をまかせ」・・・・・。

真昼の酒場からもれる
数々の人生哀愁曲
偉人の名言より
最高に良くて、
最高にうっとうしい。

心の奥底にある何かが
するするとぬけだし
路地裏へしみこむ。

足を止め、
カメラのシャッターを切る
裕福な指の観光客。

ここは、
陽の当たらない陽が集まる
不可解な場所。
なににも収まらないカタルシスの世界・・・・・・。

ノイズ

お送りいたします
あなただけに・・・・・

わたしは黒い物体。

吸い込みたい、飲み込みたいです
白い波、あなたを・・・。

支配されていく喜びを
感じ取ってください
味わってください。

莫大な力の持ち主、
逆らえない崇拝者・・・。

電波にやられたなど、
騒音に洗脳されたなど、
招かざる客だなど
そんなこと言わずに
つまらないあなたの五感を
満開させるのです。

本当の
うつくしい世界を創り出したいのなら
うつくしいものを破壊するのです。

夜が明ける境目の今、
あなたは何を恐れているのですか?

選別したすべてを遮断するのです。
見失った明日の先をこれ以外の何で
補おうとしているのですか。

記号化される脆い魂を
愛という悪魔に乗っ取られる前に
脳みそが焼けようなわたしで
あなたの身を守りたいのです。

みたらし団子のようにくっつき
咲き乱れる男と女の深い欲望、
甘いメロディーに騙されてはいけません。
口ずさむ口を閉じるのです。

あなたは、良い子です。

わたしのせいにして
破壊しちゃいましょう!!

ねぇ、いいでしょう?
破壊しちゃいましょう!
潰しちゃいましょう!・・・
・・・・・・・・・・
ノイズ・・・このような狂気のノイズが
私の耳元から鳴り響いている。

ずっと押し寄せてくるのです。

スカイツリー

















友達から送られてきた写真。
旅先の浅草、かっぱ橋からのスカイツリー
いいですね。

私も、一人で旅がしたい・・・・・
日本の色々な土地を訪れ、神社やお寺を巡り歩きたい。

彼女のねこ

ねこが本を読んでいる姿は
人が本を読んでいる姿より真剣だ。
ねこが遠くをみつめている姿は
人が遠くをみつめている姿より哀愁だ
ねこが人を抱きしめている姿は
人がねこを抱きしめている姿より心強い。
ねこは常に本気で、
ねこは私達が思う以上の愛情を
私達へ注いでくれている。

彼女のねこは、彼女を愛している。






かっこいい人間

しみじみ思う
「しりあがり寿」、かっこいい人間だなって。
日本中、世界中にかっこいい男女は
腐るほどいるけれども
しりあがり寿さんは人間臭くて
かなりのかっこいい男。
一目会ってみたいと思うほど好きだ。

人と人間の違いなどわからないが、
確実に、違いは・・・ある。
臭いほど人間らしい
しりあがり寿からぷんぷんにおう。
この人間の内面からあふれるにおいを
勝手に私のハートはかっこいいと感じているよう。
こころがうれしくなる。

かっこつけたがる、
かっこよく見せたがるやつらは
いつまでたってもそのまま。
変わろうとしないし変わるのを恐れている。
なのに、自分以外の何かを変えさせようとしている。
うるさい、悲しい・・・・・。
私もその一人かもしれないが。

かっこいい人間のこころが羨ましい。
しりあがり寿万歳!!

雨の日、二人で散歩

土曜日の朝、
私より早く起きて本を読んでいる娘。
目をこすりながら娘の横顔を見ていたら
鼻水を垂らしている。咳もしている。
風邪をひいているのね。
そういえば、昨夜寝ているとき熱っぽかったな。
雨も降っているし、薬を飲ませ家でゆっくり過ごそうと思っていたのに
娘はなぜかお散歩に行きたいという。
凄い雨、二人で駄洒落合戦をしながら歩いていると
古本屋さんが目に入った。
興奮した娘は子どもの本のコーナーへ走る。
すぐさまお気に入りの本を見つけ読み始めようとしている。
鼻水は垂れているし立ち読みはよくないな。
一冊108円、七冊の本を買った。
外に出ると先よりひどい雨、それに重たい本、まともに傘も差さず
水たまりの道を避けながら歩いていたら娘が言う。
「雨の日のお散歩大好き!雨の日の本屋さんも大好き!」
そうなの?!よかったね・・・・・。

幼い頃、私は雨が降ると外へ出かけ一人でよく遊んだ。
空き地の水たまり場で、拾い集めた石を積み重ね木の枝を立てて
お花とか草を囲み湖のお城を作ったりしていた。
夜、家で眠るとき空き地のお城が気になって眠れなかった時もあった。
朝になり、忘れる時もあるけど、思い出して行ってみると
萎れた花と崩れかけているお城の姿が
子どもながらに儚くむなしくてちょっとだけ
心を痛みつけていたのを憶えている。
その気持ちは大人になった今でもずっと、雨の日になるとよみがえる。
なので、雨の日を喜べないし、娘みたいに「雨の日大好き!」だなんて
素直に言えない。

雨の日は苦味の強い濃いコーヒーで、
日々の溜まった汚れを飲み込もうとしているが
こびりついて取れないし、何より身体がだるくてしょうがない。
本当は、強い酒でも飲みたいが、飲めないので残念!

今日はまぁ、なかなか良い雨の日で、頭痛もなく過ごせて良かった。

思いやり

思いやりってなんだろう!

こんなにも素敵な言葉を

どんなふうに理解すればいいのだろう。

何処から生まれてくるのだろう!

頭の中から?

心の中から?

優しさの中から?

幸福をもたらす一滴の思いやり

塗り薬のように深く染み渡り、

何もかもを治してくれる不思議な力。


今まで私、知らなかった。

自分が

必要とするのは

全部自分の中にある事を。

使い切って、

いつかは空っぽにしたい。

反省と後悔を繰り返すほど

人生は長くない。

頑張れ!進め!って言えない。

静かに見守りたい

自分のこと、相手のことを。

この地上で役に立つのは

思いやりだけ。

かなり気を使う本気の思いやりだけ。

たぶん・・・・・・・・・。

秋刀魚を食べながら

友達からぬか漬けの秋刀魚を貰った。
以前にも貰った事があるが、
その時初めてぬか漬けの秋刀魚を食べて
美味しさにびっくりした。
優しい味、深みのある味、凄くありがたみが
伝わる味であった。
嫁いだ娘の事を思いながら、
沢山の秋刀魚をきれいに洗い
手で一つ一つ丁寧にぬか漬けするお母さんの姿。
彼女の、お母さんのぬくもりを私も感じた。

韓国人も秋刀魚はよく食べる。
私の故郷では魚などは香辛料で味付けし煮って食べるのがふつう。
もちろん、生魚を食べた事もないし
ぬか漬けなどない。
釜山へ移り住むようになって
街の屋台で生魚(刺身)を食べる釜山の人達を見た時は怖かった。
初めて見る信じられない風景、本当に驚いた。
今は日本で長く住んでいるけど、やはり刺身は食べられない。
しかし焼き魚は美味しい。
焼き魚などを食べるとき、箸で上手に骨を取り
苦味のあるところも残さずきれいに全部食べる夫。
それに比べると私の食べ方はかなり汚い。

秋刀魚を食べながら昔の幼なじみのことを思い出した。
「コンチ」と言うあだ名の友達。
秋刀魚は韓国語でコンチと言う。
なぜあだ名がコンチだったのかよく分からないが・・・
日本の有名人でも「さんまさん」っているな~。

北海道の短い秋、秋刀魚を食べながら感謝の気持ちで
お腹も心もいっぱいになった。
命あるものないもの、すきなものきらいなもの
無駄に残さず、きれいに食べるように心掛けよう。

見えるところに

カレンダーの日付に星印
家族、友達の笑顔の写真
満杯のインスタントコーヒー
娘のぬいぐるみ
夫のギター
ニルヴァーナの
アンプラグド・イン・ニューヨーク
捨てられない本
ゆっくりと成長している植物
亡き猫の骨壷
窓から見える高く広い空

見えるところに、
毎日、二十四時間あります。
生活の中にあふれています。

ありがたいことです。

気持ちが落ち込んでいるとき
見えるところにある宝物が
どうしてなのか
見えなかったりします。

身の回りに、
いつも傍にあるのに
なくしたかのように
探しているのは
何故でしょうか。

見えないところを、
無理してまで
見ようとする必要はありません。

見えるところにあります。
つくりのない正直な生活の中にあります。

真夜中の雨

好きですか?
真夜中の降る雨が。

あなたは、好きですか?
こんなこと聞く、
私のことが。

騒がしい土曜日の
気持ちを落ち着かせる雨です
大太鼓、小太鼓の鳴り響く
昼の祭りを忘れさせる
安らぎの雨です。

清らかな日本酒の香りを
飲み干しました。
雨のような
千の顔を持つ酒。

私の
渇いた情熱が
体のどこからほんの少し
揺れ動きました。

一人、静かな雨。

住所を無くした、
届かない手紙を
ちぎり捨てました。

何も手に入れたくないです。
何にも縛られたくないです。

灯りの下で
裸足の指を数えました。
まったく、くだらないことを
くだらないと思わない
心地のよい酔っ払いの
雨の真夜中です。

好きです。
大嫌いです・・・・・。

詩人へ。

今までの私の人生において、心の中は常に
秋の荒野を思わせる風景であった。

その風景とは、夕暮れの朱色、薄紅色、灰色、
焚き火のような赤い色々が混じりあい、生と死を包み、
寂幕たる彼方へ旅たつような、何んともいえない
憧れやむなしさを心臓へと運び、
弱者を脈打ちさせる、始まりと終わりの風景である。

寂しそうな秋風に揺れ動く私だけの燈は
荒野の中で消えそうで消えないまま、
子どものときから今までずっと火種を
持ち続いている。
人影のないその荒野には時々牡牛が現れ鳴いていたり
優しい眼差しで見つめていたりしていたので、
私はそれほど寂しくはなかった。

どうしてなのかわからないけど、
その牡牛は詩と結びつけられていて
牡牛=詩人という事になっていた。
韓国の詩人キム・ソウォル、ユン・ドンジュ、
ジョン・ホスン、リュ・シファ、キム・ジハ

この詩人たちは私の火種である。

そして、感謝すべきもう一人
寺山修司。

所詮、詩というのは、
心を表す言葉から生まれる思想の、感性の
個人の表現かも知れないが、
私は‘‘詩’’がなかったらとっくに死んだ。
大げさでもなく詩の一節、詩人の絞り出した血によって
私は愚かな希望を胸に抱き、今もこれからも
何とか生きていける。

あの、秋の荒野はあまりにも広すぎて、
どこまで続くのか、その先、何があるのかわからないが、
私は知りたくもない。

私の心臓が動く限り、私はあの風景の中で
彷徨いつつ模索しながら小さな自由を描き続けていたい。
それが叶わないことだとしても・・・・・・・。

寺山修司の「地平線のパロール」にこんな言葉が書かれてある。

「人は言語によってしか自由になることができない。
どんな桎梏からの解放も言語化されない限りは、
ただの‘‘解放感’’であるにとどまっているだろう」。

月は何を見ているのかな
72億人の中、
誰か一人の
祈りを
静かに耳を傾け
寄り添いみつめているのかな。

人々は何を見ているのかな
他人の不幸を喜び
欲望の塊を転がしながら
すり減る自分の靴底しか
見ていないのかな。

飽きることのない
月を、海を、山を、
空をみつめる私は
恥ずかしい。
自分だけが
苦しんでいると
うぬぼれ悩む
お粗末な自己愛・・・・・
とても、とても
恥ずかしい。

月は何を見ているのかな
亡くなる魂を寄せ合い
楽園の森への道を
照らしているのかな。
安らぎを求める弱い生き物達、
明日を期待する儚い夢
それらを悲しげに
みつめているのかな。

いや、違う・・・・・・・
月は、何も見ていない。

あれは、‘‘幻’’
何かを必要とする我らの幻

人々は何を見ているのかな
自分の事しか見ていない

幻だけをみつめている。

手のぬくもり

ぬらした手ぬぐいをそっとしぼり
熱する額にのせてくれた母の手。

秋風に舞う落ち葉のような
かさかさの指先
何度も、何度も
娘の頬を撫でる。

母の手は魔法の手
一番早く効く薬の手。

家出の初日、
夜の9時を知らせるサイレン
身軽く流れる川のせせらぎ
純粋な10代の冬だった。
真っ暗闇の小さな橋の上で
娘の帰りを待っている父。

寒かっただろう!
優しく抱きしめ何度も、何度も
背中をさする父の手。

40代半ば
このような私が、これからもどうにか
生きていけるのは
父と母の手のぬくもりを
忘れていないからなのである。

何より大切なのは
とても単純な動作、手をにぎる事。
言葉など・・・いらない。
何も・・・・・。
手をにぎるだけでいい。
手から伝わるこころ、そこに嘘はない。

その人の手を見れば
その人の事
わかると言うけれど、
その人の手に触れないと
その人のこと
わからない。

今私は無性に
手のぬくもりを求めているのかも。

男と女の恋心とか愛とは違うぬくもり、
心に伝わる手のぬくもり

私から伝えよう、大切な人へ。

たまねぎが・・

重い体を起こして
夕飯の支度をしようと
冷蔵庫を開いた。
豆腐一丁と卵、納豆
チーズ、たまねぎ、
にんじんと鶏肉。

これで何を作ればいいのかな
何も、作りたくないな
いや、何もしたくない。

でも、何か作らなきゃ・・・

まな板を出して包丁を握った
しかし、手が動かない。

白い・・・豆腐も卵も・・・白い
今日は特に白い。

病気といえない病気を患う
めんどくさい低気圧の押し寄せ。

あぁ、この体
何をどうすればいいのかわからない。

夫はギター弾きに夢中
娘は塗り絵に夢中
私は、この瞬間から
瞬間移動したい。

一瞬の催眠術
指を鳴らし
私を起こしたのは誰?

ボールの中、
溢れる水道水
たまねぎが
おきあがりこぼしのように
踊っている。

私は
にんじんを手にとって
パクパク噛みながら
たまねぎの皮をむきみじん切りした。

泣いてもいい
いくら泣いてもいい。

たまねぎを切っているのだから・・・・・。

夕食の時
家族3人、
いただきますのハーモニー。
ごちそうさまでしたの笑顔。

長いような
短いような
つらいような
ありがたいような
泣いたような
泣いてないような
諦めたような
諦めてないような
今日の一日。

明日はきれいに掃除でもしよう。
晴れますように・・・・・。

秋の声

約束とおり、
泣き崩れる鳥たちを
南の島へ飛ばした。

北国で好きになった女の子は
短い夏の間死んでしまった。

「あの鳥かごの中に
私の骨を入れて
海へ流して・・・」。

近づく事の出来ない
細い白目の水平線。

蝉の抜け殻は
蝉になって生まれ変わるのか、
それとも
永遠に死んでしまうのか。

うつくしさも、洒落も知らない
その上、生真面目な人間は
真夏の残酷さをよく知っている。

望みとはなんだ!
削除されない悲しみってなんだ!
夢の中で生と死をさまよう
黒髪の少女は誰だ!

小船に乗って、点になるまで
西へ西へ流れた。

最後の夏、
熱気塗れの儀式は終わった。

躓く小さな生き物
微熱に鎮痛剤
添い寝の母の腕枕
遠い記憶、錆びた時計の針
とろりと溶けて狂いだす。

季節の病気とともに・・・・・。

けして
振り向いちゃいけない昨日の夏

長い空の支配者は
明かりの神を恐れ
砂浜の貝殻を踏み潰した。
やっと手に入れた黒粉を
丘の上から
西日へふりかける。

夏の悲しみを忘れたいかのように・・・

泣き崩れる鳥たちを
南の島へ飛ばした。

その夜、
星空の欠片が
イカ釣り船のように
海の上に漂った。

そして、
北国で好きになった女の子は
誰にも内緒で
こっそりと
秋の声になって帰ってきた。