背中を愛する人

いつも
父の
背中を
見ていた。

下を向き
ゆっくりと歩く
負け犬のような姿。

悲しかった・・・・・。

他の人には
見せたくなかった。

前からは見えない
気づかない
父の
本当の顔。

大好きな
善人の顔、
貨物所での
貧しい労働者の顔、
アルコール塗れの
世離れした顔、
無所有の
欲を知らない顔、
弟の死を背負い
苦しみに耐える顔、
愛を
愛のまま
愛する顔。

そのような
父の顔を
包み隠さず
見せてくれる
父の
背中が
いとおしく、
時には
苦しく思えた。


ある日から
酒屋までの
慣れた道を
まっすぐに
歩けない父を見かけた。

その背中、
後姿は
魂のぬけた
古木の姿・・・
少しの風で
飛ばされそうな
弱弱しい枯れ葉のようであった。


前からは見えない
気づかない
父の
無常の顔。

残りの時間を
惜しまなく手放す
さよならの姿。

その背中には
拒否できない本質が
へばり付いてあった。

どうしようもない
愛の本質・・・。


私を作った
遺伝子の中には
父の背中の影が
いつもさまよっている。

そして
心の中には
もう一人の人物、
カジモドと言う男がいる。

私にどって
父と
カジモドの背中は同じ姿。


自分自身の背中は
自分では見られない。
自分で
見るものでもない。

人の
他人の
何気ない背中を
今日も見つめる。

他人を
平等には
愛せないが
他人の
背中を
何となく
愛しようと思う自分がいる。

こころの
不自然さなのかもしれないが、
私は
父の背中、
カジモドの背中から
計り知れない影響を
受けているのは事実だ。

なぜなら
愛の本質を
素直に受け入れ
死を恐れず
世を去る
彼らを
この目で見て
心で感じたからだ。

理屈のないその人の
愛の姿は
背中に宿る。

醜くても
美しい。

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