ラジオを点けると

私が中学生になるまで家にはテレビが無かった。
当時、テレビを持っていない家は、貧乏である事ではあったが、
そんなに嫌ではなかった。
いつも傍にラジオがあったから。

避難民を思わせる最小限の衣・食・住の生活
そんな暮らしが恥ずかしいと気付いたのは12才の頃。

仲のいい同じクラスメイトの友達から
誕生日パーティーに招待され家を訪ねると
立派な金持ちの屋敷で、お手伝いさんまでいたのでびっくりした。
ソファーに座ったのも初めて、ケーキを食べたのも初めて、
カラーテレビを見たのも初めて、何より驚いたのは電気蓄音機。
倒れそうになった私を友達のお母さんが支えてくれた。
予想もしていない別世界を目にして、
段々具合が悪くなり次の日、学校を休んだ。

ちなみに、私からの誕生日プレゼントは凄く恥ずかしいが、
紙に書いたおかしな詩、
それから母さんから持たされた、畑で取れたとうもろこし、だった。

子どもの時からラジオをよく聴いていた。
深夜を過ぎても布団の中でラジオを抱きしめ、流れる音楽を聴いた。
そして泣きながら眠った。
あのころラジオでよく流れたのはポール・モーリアオーケストラの映画音楽。
気に入った映画音楽をメモって、いつかその映画を観るのを夢見ていた。

ラジオを点けると空想の世界が次から次へと広がり、
その世界はうつくしく、そこにいる私もまたうつくしい姿。
まさに夢のパラダイス。

ラジオからテレビ、CDプレーヤー、そしてパソコン。
知る事、見る事が増えれば増えるほど、
私の聴き取る感覚の機能が
鈍くなっていくような気がしてきた。
一時的な満足感を与え、排せつ物のように私から抜けて行く
情報や知ったかぶりの知識、毎回分かっていながらもあれこれと、
パソコンで検索しては何か虚しくなる自分と対面する。
知りたかった事を、知ったときのうれしさが麻痺していく感じ
知りたくなかった事を知ったときの怒りへの後悔。

ラジオを点けると、自然に広がった空想の世界。
そこには夢があったかもね~。

そもそもパソコンにこんな書き込みをする事自体がおかしい。
色々とパソコンにはお世話になっているので、
これからも良きパートナーでありたい。
そして、たまにはラジオを点けて失いつつある世界へ行ってみたい。

 

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